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名古屋地方裁判所 昭和47年(ワ)136号 判決 1975年10月07日

原告

林盛行

右訴訟代理人

鶴見恒夫

外一名

被告

名古屋市

右代表者市長

本山政雄

右訴訟代理人

鈴木匡

外五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、請求の趣旨

1  被告は原告に対し五九〇万一五〇〇円およびこれに対する昭和四七年一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一、請求原因

(一)  別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)は訴外成萬栄および同李鐘大の共有であり、一階には二店舗と管理人室、二階には貸室九室を有した。そして原告は右一階の一店舗を借りて「喫茶店スリーエイト」を経営していたものである。

(二)  本件建物においては、昭和四六年一二月二五日午後九時二二分頃二階七号室訴外金原靖方より出火したが、これを発見した隣人二名が消火器を持つてかけつけ、消火にあたつたので、同室は台所のガスレンジ付近と窓ガラスを焼いたにとどまつた。

右出火にあたり、名古屋市熱田消防署職員(消防隊)が消火活動のため出動したが、同職員が本件建物に到着したときは右出火は既に消火されていたため、同職員は消火活動はせず、出火原因の調査及び残り火の点検を行つてから同日午後一〇時三〇分頃本件建物から引きあげた。(以下右出火を「第一次出火」という。)

(三)(1)  しかるに翌二六日午前六時頃前期七号室より再び出火し、本件建物を全焼した。その結果、原告経営の店舗内にあつた什器、備品等一切が罹災した。

(2)  右の再出火は前期第一次出火の際の残り火から再燃したものである。(以下「本件火災」という。)

(四)  (被告の責任)

前記熱田消防署職員は、名古屋市の職員であり、公権力の行使に当る地方公務員であるところ、出火に際して消火のため出動した場合には、本件のように既に火元者等によつて消火されていた場合においてもその専門的職務の見識にしたがい、残り火の点検を徹底的に行ない、また再燃原因の有無を充分に調べて、いやしくも残り火から再燃または再出火の原因を残さないよう注意する義務があるのに、これを怠り、第一次出火場所の点検において再燃または再出火の原因を見落したまま引きあげた過失により、再び本件建物に火災を起させた。

それ故名古屋市は国家賠償法第一条第一項により原告に対し賠償責任がある。失火ノ責任ニ関スル法律(以下「失火責任法」という。)はそれが私人の責任を緩和する規定であることを考えれば国家または公共団体の責任には適用されない。

(五)  (損害)

(1) 三五〇万円

店内の造作、内装の焼失による損害

(2) 二三〇万七五〇〇円(二三二万五五〇〇円の誤記と認む)

原告所有物(別表(一))の焼失による損害

(3) 九万四〇〇〇円(七万六〇〇〇円の誤記と認む)

本件火災時に店内にあつた原告の使用人らの所有物(別表(二))焼失のため、原告がその使用人らに弁償した金額

(六)  よつて、原告は被告に対し、右損害金五九〇万一五〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四七年一月二八日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。<以下略>

理由

一請求原因事実(一)は当事者間に争いがない。

二(一)  請求原因事実(二)は燃焼の程度を除いて当事者間に争いがない。

(二)  (第一次出火における燃焼の程度等について)

<証拠>によれば次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

第一次出火の原因は台所(三畳板間)において漏出したプロパンガスに石油ストーブの火が引火したものであり、漏出したプロパンガスは隣室(六畳)にも流出していたため火気は隣室まで及んだ。これにより台所にいた金原由里子とその子竜二および隣室で寝ていた同人の子文が火傷を負つた。台所の腰板は煤がついていたにとどまり焦げるに至らなかつたが、その付近にあつたと思われる応接椅子の裏側の布の部分は焼失し、また文が寝ていた子供用のふとんには火がついた。

火は隣人などが棒でたたき、また消火器でもつて消し止めた。

三右第一次出火の翌日である二六日午前六時頃、右七号室より再び出火し、本件建物を全焼したこと、その結果原告経営の店舗内にあつた什器、備品等一切が罹災したことは当事者間に争いがない。

四(本件火災は第一次出火の残り火によるものか)

<証拠>によれば次の事実を認めることができる。

第一次出火の際、間もなく消防自動車が到着したが、右出火は既に消されていたので消防自動車は放水することなく若干の職員を残して引きあげた。右職員は警察官とともにその後約一時間出火現場の点検および検証をして引きあげ、次いで警察官も引きあげた。その時七号室の住人である金原靖の家族全員は由里子らの火傷の治療のため病院へ行つていたので、山田秋光が同室に鍵をかけて、同人も病院へ赴いた。その後、同室は本件火災に至るまで鍵のかかつたままであつた。同室は二階であり、また窓は破れていたものの、本件建物には庇が無いからたやすく出入しうるものではない。本件火災を放火と推認できる証拠はなく、ガス漏れ、または漏電によるものとは認められず他にも出火原因となるものは見出しえない。

以上の各事実を総合すれば、本件出火の原因となる火気は第一次出火の残り火と推認でき、これを覆すに足りる証拠はない。

五(被告の責任)

(一)  (失火責任法の適用について)

被告は本件に失火責任法の適用があると主張し、原告はこれを否定するので判断する。

(1)  国家賠償法第四条は「国又は公共団体の損害賠償の責任については前三条の規定によるの外民法の規定による。」と定めており、右にいう「民法」には形式的意味の民法ばかりでなく、民法の付属法規をも含むと解するのが相当である。

(2)  次に失火責任法を見るに、同法が失火者の責任を軽減したのは次の理由である。即ち、火災の発生については住民すべてがお互に注意しあうべきものである。そして類焼により他人に損害を加えることになるのは、我国の家屋が木造であることが多くしかも建て混んでいるという社会事情によるもので必ずしも失火者一人の責任とすべきものではない。加えて、失火者は自らの財産をすべて焼失するのが通常であるのに類焼による莫大な損害をも賠償させるということは酷である。

そこで右各理由が同法にいう失火者から国又は公共団体を除外する理由となるかを見るに住民相互が注意すべきとの点は問題とならず、木造家屋が建て混んでいるとの社会事情についてもこれを国または公共団体の責任とまでは言い切れないのであるから、これをもつて国又は公共団体については失火責任法を適用しないとする理由とはなしがたい。また類焼による損害賠償責任を負担させるのは酷であるとの点であるが、これは私人の場合に言い得て国または公共団体についてはあてはまらないけれども、国または公共団体の財源といえども限度があり、しかもこれは国民または住民の税によつて負担されるものであることを考えれば必ずしも決定的な理由とはなしがたい。単に国または公共団体と言うだけで私人より過大な責任を負わねばならぬとする理論は感情論を出ないと言うべきである。しかも国または公共団体は私人よりも大きな責任を負うと解するならば、失火者が隅々公務員であるという事情によつて類焼による被害者の救済について不公平を生じることにもなる。

更に、失火責任法が失火者を私人に限つていないこと、国家賠償法は失火責任法よりも後に立法されたものであることを考慮するならば、失火責任法は国または公共団体が賠償責任を負う場合を除外しているとは解しえない。

次に消防署職員の過失であることによつて別異の解釈が可能かを見るに、失火責任法その他関係諸法に消防署職員の過失を除外する規定はないのである。従つてこれを他の公務員の過失の場合と異なつて扱うことはできない。なお消防署職員は、国及び公共団体がその有する、火災から国または住民の生命身体及び財産を保護する義務を全うするために設けた機関の職員であり、火災の防止、消火などをその業務とするものであるから、その防火消火における注意義務は一般私人に比して高度である。そこでかかる高度な注意義務を有するものの過失について軽過失の場合の責任を免除するのは一見不合理のように感じられるが、右のような業務上の注意義務違反は一般私人の過失であれば軽過失と評価できるものでも、業務上過失として重過失に評価されうるものであるから、何ら不合理な結果を生じない。

以上により、失火責任法は国または公共団体が損害賠償責任を負う場合に適用されると解するのが相当である。

(二)  そこで本件火災において消防署職員に重過失があつたか否かを判断する。右重過失の有無は、その公務員の為すべき注意義務との関連において判断されなければならないのである。そこで消防署職員の消火における注意義務を見るに、消防署職員は、火災から住民の生命、身体および財産を保護することを以てその職務とするものであり、(消防組織法第一条、消防法第一条参照)、そのために特に専門的な知識および技術を身につけているのであるから、その火災防止のための注意義務は一般人に比して高度なものと言うことができる。そしてこの注意義務は消防隊到着前に消火されていた場合であつても軽減されることはなく、むしろ私人は消火について専門的な知識に欠けることが多いのであるから、再燃のおそれについては消防署職員によつて消火された場合よりも丁寧な調査を為すべき注意義務があると言わなければならない。

(三)  <証拠>によれば、本件第一次出火は漏出したプロパンガスが燃えたものであり、その燃焼は七号室の広い範囲にわたり、しかも布など燃えやすいものには着火していること、それ故、七号室内の様々な部分において火気が残る可能性があつたこと、消防署職員は残り火を発見しなかつたとの各事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。そして右事実は原告の「残り火からの再燃又は再出火の原因を残さないよう注意する義務を怠つた」との主張事実に沿うかのようであるが、他方前記各証拠によれば右消防署職員は午後九時二八分から一〇時三六分まで七号室内を点検し、また検証し、プロパンガスの漏出を止めるなどなし、右約一時間にわたり消防署職員としての措置を一応なしたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。従つて前記各事実のみをもつてしては未だ右消防署職員に重大な過失があつたと判断するを得ない。

六以上によれば原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(越川純吉 伊藤邦晴 松本哲泓)

物件目録<略>

別表 (一)(二)<略>

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